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2010年8月31日 (火)

駆け出し事件記者見守るリボンの騎士 天井板に手描き

トリーバーチ 東京都豊島区、警視庁池袋警察署7階の「5方面記者クラブ」。都内主要7署にある駆け出し事件記者の拠点の一つだ。その隅に、古びた天井板は眠っている。  縦90センチ、横30センチほどの板に描かれているのは、リボンの騎士と、見覚えある手塚治虫さんの自画像――。漫画界の人気者たちが暮らした豊島区南長崎3丁目の木造アパート「トキワ荘」が28年前に取り壊された際、手塚さん本人が描いたという。「五方面記者クラブのみなさんへ」と、添えられている。  当時の朝日新聞には「おなじみのベレー帽姿は、取り壊しを知ってやって来たファンに囲まれ、思い出の2階14号室へ。かねての希望通り、煮炊きの煙がたっぷりしみ込んだ天井板の一部を譲り受けた」とある。  でも、なぜその1枚がここにあるの? 今では、記者も署員も、誰も知らない。  「たまたま、トキワ荘のそばのラーメン屋に行ったんだ」。読売新聞編集委員の小出重幸さん(59)は、1982年11月30日のできごとを懐かしそうに振り返った。  当時31歳。前任地の仙台から社会部に異動して1年目だった。その日は、午前中に板橋区で火災を取材した後、各社の記者が連れだってトキワ荘近くの中華料理店「松葉」に向かった。  食事を終え、ふとトキワ荘をのぞくと、ぐるりと足場が組まれ、窓枠が外されている。解体作業が始まるという。慌てて取材を始めた。住人だった漫画家に思い出話を聞こうと、電話取材した。  他社の記者が手塚さんに電話すると、「思い出の天井板を取りに行く」という。12月1日の夕方、トキワ荘の前で待ち合わせる約束をした。  翌日。手塚さんは新宿区高田馬場3丁目にあった事務所で「ビッグコミック」の編集者に2日遅れで「陽(ひ)だまりの樹」の原稿20枚を渡すと、席を立った。ほかの連載の締め切りも迫っていたが、それでも、トキワ荘に向かった。  「怒る編集者に囲まれながら帰りを待ちました」。手塚プロダクションの松谷孝征社長(65)は振り返る。「行かせたくなかったけれどね。気分転換してもらおうと」  予定より1時間ほど遅れてトキワ荘に到着した巨匠は、電球が外されて真っ暗な中をぐんぐん進み、2階の14号室へ。記者たちが懐中電灯で照らす中、脚立に上った。  「はがしちゃっていいんですか?」「いいの、いいの。大家さんに言ってあるから」  はがしたばかりの数枚の天井板。小出さんがフェルトペンを差し出すと、手塚さんはリボンの騎士を描き、「僕も」と自画像を添えた。  トキワ荘の最期を伝えてくれた記者たちへの、手塚さんらしいお礼だった。みんなで抱えてクラブに持ち帰り、ロッカーの上に飾った。  天井板の手塚さんに見守られながら、5方面記者クラブで取材に携わった記者は、200人を超える。みんなここから巣立っていった。  「トキワ荘と同じですね」と、かつて住んでいたアニメ作家の鈴木伸一さん(76)はいう。「僕は思うんです。学校でも会社でも、みんなが将来、活躍するようになれば、そこがそれぞれのトキワ荘になる」 トリーバーチ 財布

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